西原さん

元早稲田大学総長の西原春夫さん

 「メディアの将来像を考える会」は2017年12月12日午後7時から、早稲田大学26号館1102教室で第81回例会を開き、元早稲田大学総長の西原春夫さんをゲストスピーカーに迎え、「北海道官有物払い下げ事件と森友事件の類似性―明治14年政変の分析から見えてくること―」と題して講演いただきました。

 西原さんはまず、幕末から明治期にかけて日本の近代化に貢献した陰の3人として、早稲田大学建学の祖で大蔵卿を務めた大隈重信、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎、慶応義塾を創設した福沢諭吉を挙げ、それぞれが直接、間接の協力関係にあったと指摘。英国流の憲法の制定・議会の開設を志して大隈を戴き、慶応派論客と提携した早稲田大学建学の母・小野梓らの橋渡しもあって、3人は薩長藩閥政権とぶつかることになったと述べました。

 西原さんによると、この対立が表面化したのが明治14年3月の大隈の皇室に対する「憲法意見書」提出問題でした。意見書の原案を作成したのが福沢門下の矢野文雄、原案を修正したのが小野梓と言われ、意見書には大隈が事前に伊藤博文と合意していた内容と異なる政党内閣制の導入や国会の早期開設が含まれていたため、伊藤が激怒、後の明治14年の政変につながったといいます。

西原さん

「大きな歴史の流れを報道にも反映させて欲しい」と語る西原さん

 この対立を悪化させたのが、薩摩出身の黒田清隆が北海道開発庁の廃止に伴い、官有物を同郷の五代友厚の会社に安く払い下げた同年7月の「北海道官有物払い下げ事件」で、前年に払い下げを申請して拒否されていた岩崎が猛反発。これに、閣内にいた大隈や会計検査院にいた小野、さらに慶応系の新聞が呼応したといいます。西原さんはこの構図が「森友事件とそっくりだ」との見方を示しました。

 これに対し、薩長藩閥政権側は大隈・福沢・岩崎連合軍による政府転覆の陰謀と決めつけ、政府は明治14年10月、「明治23年に国会を開設する」「憲法は欽定憲法とする」「大隈は罷免する」ことを決定しました。

 これが明治14年の政変で、西原さんは「その背景には明治国家の在り方に関する根本的な意見の対立があった」との考えを示しました。具体的には薩長藩閥政権は「天皇中心の強力な権力国家」を、福沢や大隈らは「国民の意見を反映させる民主的な政党内閣制」を目指していて、14年の政変により、日本は前者の道を歩むことが確定。勝った伊藤は翌15年にドイツ流の帝国憲法を研究するためドイツを訪問、負けた大隈は野に下り、早稲田大学の前身である東京専門学校を設立しました。西原さんは「憲法を含め薩長藩閥政権が率いる明治国家の運営が太平洋戦争の開戦・敗戦を導く基になった。さらに言えば、明治維新そのものの中にその要因が含まれていた」との歴史観を提示しました。

 西原さんは、「福沢・大隈の思想は時期が早すぎて敗北したが、結果として、戦後アメリカ占領軍の手によって実現され、戦後体制の根幹を成してきた」とした上で、「その戦後体制が、明治国家を懐かしむ勢力によって蝕まれそうになっている」と指摘。森友事件と北海道官有物払い下げ事件の歴史的類似性に注目するよう促しました。最後に「早稲田・慶応の人間はこのような国の動きにどう(対応)すべきか。そういう大きな歴史の流れをマスコミの報道に反映させていただきたい」と締めくくりました。

 講演後の質疑応答では、「明治国家へ返りたい人は現行憲法を『押し付け憲法』だとしているが、どう思うか。9条については、国際情勢は憲法が期待したようにはなっておらず、自衛隊は厳重な縛りを掛けて認めざるを得ないのではないか」「明治国家の体制は間違っていたと考えるのか」など活発な質問が出ました。

 これに対し西原さんは「マッカーサーメモは時代の先端を行っていたと私は評価している。これが9条につながったと考える。憲法の中に自衛隊を明記するのではなくて、あくまでも解釈上認めることにしたいというのが私の考えだ」「『坂の上の雲』のような上を向いた輝かしい面も確かにある。しかし、軍人の威張り方はどんなものだったか、身に染みている。陰惨な帝国主義と輝かしい面はまさに一体だった。輝かしい面だけを見てはいけない」などと答えました。 終了後、学外に場所を移し、忘年会も兼ねて懇親会を開催。西原さんを囲んで議論が続きました。

■西原氏の略歴
 早稲田大学教授。1982年から90年まで早稲田大学総長。法務省矯正保護審議会会長、日本私立大学連盟および日本私立大学団体連合会会長。全私学連合 (幼稚園から大学までのすべての私学団体の連合体) 代表。日中刑事法学術討論会日本側代表(日中刑事法研究会会長)。学校法人国士舘理事長。日本中国友好協会顧問。